top of page
検索
執筆者の写真yusuke murakami

アコンカグア③          Aconcagua (アルゼンチン) 未

・ニドコンドレス→キャンプ・コレラ


標高6000m以上に長期滞在すると体に良くないという理由でニド(5300m)から一気に山頂を目指す人もいるらしいが、どう考えてもキャンプ・コレラ(6000m)から山頂を目指す方が歩く距離も少なくて済むし、楽だと(登山素人の私たちは)思うのでコレラへ向かう。

キャンプ・カナダ~ニド間よりも傾斜が強くガレ場だらけの道を登っていく。

風も徐々に強くなっているような気がした。

途中キャンプ・ベルリンという今は廃墟と化している旧キャンプ地に寄ったが、誰もいなかった。潰れかけた小屋がポツンと1つだけ佇んでいるだけの寂寥感に満ちた場所だった。

そこからトラバース(山の斜面を水平移動)気味に徐々に高度を上げ、時折ものすごい突風に煽られながら何とか登っていき最終キャンプ地のコレラに到着。



               最終キャンプ地のコレラ。


まずテント設営の場所を探したが、良い場所は全部ツアー会社に確保されおり、なかなか良さげなところが見つからない。しばらく彷徨っていると風を防いでくれそうな岩陰を見つけそこにテントを張ることにした。しかし、テント設営後に知りたくない事実に気づく。

なぜここが空いていたかと言うと、登山者がこの岩陰周辺をトイレ代わりに利用していたからだった。これは公然の秘密なのだが、登山客の中には岩陰で用を足す人も多いのだ。

そのため、強風で風化したウ〇コの欠片が我々のテントの方へ飛んでくる危険性もあったのだが、他に良い場所が見つからなかったのだから仕方ない。


キャンプ地に着いてからなるだけ高度に慣れようということで、もう少し高い場所へ散歩することにした。標高6000mで寝るということは6400mぐらいまで行って体を高所に慣らす必要がある。



     標高6200m?からキャンプ・コレラの背後にある氷河を見下ろす


2~3時間ほど散歩してからテントに戻り、休憩。翌日の登頂に向け体を休める。

寒いだけならまだいいのだが、アコンカグアはとにかく空気が乾燥しており、唇や指先がひび割れだらけになり、何か触ったり飲んだりする度に痛みを感じるのが辛い。


・キャンプコレラ→アコンカグア山頂?


翌日早朝、テントから顔を出し、他の登山客のテントに明かりがついていることを確認し、自分たちも朝食の準備に取り掛かる。夜は寝たのか寝れなかったのかよく覚えてないが、熟睡はできなかったのは確か。この高度になると睡眠や食事といった基本的なことすら苦痛になる。というかそもそも食欲が全く湧かないのだ。しかし、何も食べないで山頂を目指すのは自殺行為に等しいので、とりあえず雪を集めてくる。

ベースキャンプでガイドの倉岡氏から貰った茶こしで雪についた汚れをふるいにかける。

茶こしは大事だわ。雪を溶かしお湯を作り、暖かいスープを飲む。無理矢理コーンフレークを胃の中に流し込む。行動食もないので、残ったコーンフレークをポケットにそのまま突っ込む。まぁ何とかなるでしょ。

ヘッドライトをつけ、プラスチックブーツを履きいよいよ出発。やはり猛烈に寒い。

500mほど前方にヘッドライトの列が見えるので、その明かりを追いかけるようについて行く。我々2人は山頂までのはっきりしたルートがわかっていないので(笑)、前日の夜に「他の登山客について行こう」と話し合っていたのだった。

しばらく歩くと日が昇り、ようやく少し明るくなる。

半壊した小屋があるインディペンデンシア小屋に到着。標高6400m。ここでアイゼンを装着。つけ方もよくわかってないが、2人で確認しあう。

なだらかな雪道をジグザグに登っていき、大トラバースへ。猛烈な強風に煽られる。アコンカグア登山の1番の敵は風だと言われているが、確かにここは風が強い。

大トラバースを乗り切り、最終難関のカナレタ(側溝の意)と呼ばれる場所へ到着。

この頃になると空は完全に晴れ渡っていて、地平線の先まで見渡すことができる。


          大トラバースを終え、カナレタ下からの景色


しばらく休憩し、上を眺める。

あと350mほどで山頂なのだが、ここから先が1番難関。

勾配が 50% 近くある岩だらけの急坂をイメージしてほしい。最後の最後にそれが350m続くのだ。雪があるとアイゼンがハマり登りやすいらしいが、残念ながら、この日のカナレタには雪がない。そのため、ガレ場だらけの急坂をつまずないようにゆっくり歩いて行く。

自分でもびっくりするぐらいペースが上がらない。確実に1歩1歩進んでいるはずだが全く山頂までの景色に変化がない。時間だけがどんどん進んでいく。

そして、最悪なことに山頂まで残り50mほどの場所(もうほとんど山頂はそこに見えているのだが)で天候が崩れ、急に霧で何も見えなくなってしまう。

5m先も見えないので、大声でお互いの位置を確認しあい、相談した結果、この日の登頂は諦めることにする。そこからまた長い道のりをゆっくりと下りながらキャンプ・コレラまで戻る。あと少しで山頂だっただけに、喪失感が大きかったが、まだ食料は残っているのでチャンスはある。

そして、相棒が突然ベースキャンプ(標高4300m)まで降りると言い出した。最初それを聞いて驚いたが、ベースキャンプで倉岡氏(ガイド)から聞いた話を考慮した結果導き出した彼なりの答えだったので仕方ない。ここからは別行動、単独行動になる。

確かに標高6000mで長期滞在するのは危ないらしいが、またベースキャンプまで降りてここまで登ってくることを想像すると自分にはめんどくさ過ぎて、できないことだった。



翌日は暴風の為、テントの中で過ごす。

1歩もテントから出れないほどの強風。


             ひび割れだらけの指先が痛い。    


さらに翌日

キャンプ・コレラにあるツアー会社のテントへ行き、天候について質問。

「明日が1番いい。登頂を目指すなら明日だ」との返答をもらったので、天気はそこそこよかったが、1日中テントの中でのんびり過ごす。



登頂を目指すにあたって、問題点がひとつあった。

プラスチックブーツが絶望的に足にフィットしていないのだ。レンタルショップでちゃんと試し履きはしていたのだが、2日前にブーツを履いて丸1日行動したが、歩く度に激痛が走り、テントに戻って足を見てみると両足の親指の爪が剥がれかかっていた。


         下山後、1週間ほどしてから撮影した両足の爪


しかし、足の爪が剥がれたぐらいで登頂を諦めるのはあり得ないので、翌日の登頂に向けて特に何をすることなくのんびり過ごしていた。


  フィットしないプラスチックブーツを履いたまま雪をかき集め、お湯を作る。


撮影した写真情報を見てこの日が自分の30歳の誕生日だったことを知る。

記念すべき30歳の誕生日がまさか標高6000mで1人で雪を溶かして過ごすことになるとは・・・。人生とは何が起こるかわからないものである。


翌日、早朝。ipodの充電はとっくになくなっているので何時かはわからない。

写真を撮り、カメラのデータを見ればわかるが、そんなめんどくさいことはしない。

周囲のテントを見て明かりがついていることを確認し、お湯を湧かす。

この3日間は1日1食コーンフレークばかり食べてきたので、体力には不安があるが、まあ何とかなるでしょう。最後のカナレタさえ乗り切れば・・・

1度山頂付近まで行っているのでルートは何となくわかる。

チョココーンフレークを食べた後、いよいよ出発。これが最後のチャンスになる。

1人なので写真を撮りながら、ゆっくり歩いて行く。




         インディペンデンシア小屋近くからの朝焼け


寒いが天気は良さそうでひと安心。ただ山の天候は10分で変わるので、油断は禁物である。



    標高6400mのインディペンデンシア小屋に到着。アイゼンをつける。



      インディペンデンシア小屋からしばらくジグザグに登る



   途中でアメリカ人の登山者に追い抜かれる。この人はめちゃくちゃ速かった。



     ジグザグ道を登り終えると、右上に見えるのがアコンカグア山頂。


強風の大トラバースを横切り、カナレタへ到着。

前回はこの300mほど上で断念したので、少し休憩し体力を温存する。

下を見ると倉岡氏(ガイド)と竹下氏(お客さん)が猛然と歩いてくるのが見えたので、しばらく待ってみることにした。ニドから来たのかな、だとしたら相当速いペースだ。

そして2人と4日ぶりぐらいに再会し、少し会話をしてから2人の後をついて行くことに。



           カナレタを見上げる。最後の350m


相変わらずのガレ場で歩きにくいが、前回より少し雪が多い分マシである。

右端の岩壁沿いを歩くのが効率が良いみたいだ。前回自分たちはどこを歩いて良いのかわからなかったので、その分余計時間がかかったが、今回はスーパーガイドの後について行けるので効率はだいぶ上がっていた。ただ2人とも歩くのが速い。いつの間にかだいぶ距離を離されているが、このままいけば登頂できることを確信した。

前回敗退した場所を越え、残り50mほどを登り切ってようやく登頂。



       360度見渡す限り地平線。南米最高峰アコンカグア登頂


地球の丸みがわかる高度。

山頂はかなり広々していて、雪はまばらにある程度だった。


   だいぶ先に登頂していた倉岡氏と竹下氏と記念撮影。お世話になりました。


2人はすでに山頂に結構な時間いたのですぐに下山を始める。

自分はここから1時間ほど山頂にいて写真を撮ったり、登頂してくる登山者と話したりしていた。

しかし、いよいよ下山となるとまた足先に激痛が走るのだった。急勾配なので、踏ん張る際にどうしても指先とブーツがぶつかる。剥がれかかっている爪が反り返り、1歩進む度に激痛に耐え、また1歩進む。遅々として進まないが、痛いんだから仕方ない。

何とかカナレタを降り切ると、今度は突然ひどい腹痛に襲われたので、荷物を全部放り出し急いで岩陰まで行き、用を足した。

再び荷物を背負い、よろめきながら歩くが、足先に力が入らず何度もコケてしまい、後発の登山隊のガイドから「大丈夫か?」と心配されるほどだった。

おそらく周りからすれば高山病にかかって転倒しているようにしか見えなかったと思うが、違う、足が痛すぎて踏ん張りが全くきかないのだ。

ブーツを脱いで確かめると、靴下が血で真っ赤に染まっていた。

見ると余計に痛むので、見なかったことにしてブーツを履きなおし、歩いて行く。

後発組の登山者全員に追い抜かれ、自分が最後の下山者になった。


「果たして無事にテントまで戻れるのだろうか?」と思いながら歩いているといつのまにか道に迷ってしまい、自分がどこへ向かっているのかわからなくなった。

「これ、下手したら生きて帰れるかわからんぞ」と思い始め、「オーイ!」と全力で叫ぶが風の音にかき消され、反応なし。

歩くペースに反比例して鼓動だけはどんどん速くなる。

次の岩場を曲がればキャンプ地だと思っていたら全く見たこともない景色が現れ、本気で焦り始める。登頂したのに、なぜこんな切羽詰まった想いをしないといけないのか?

よく「無事に下山するまでが登山」とは言うが、確かにその通りだ。

むしろ(両足の爪のせいでもあるけど、)登山より下山の方がキツイ。

何時間か歩くと遠方に豆粒ほどの大きさの人影を認めることができた。

「あの人たちに気づかれないと死ぬ」と思い、足を引きずりながら叫びまくる。

向こうもこちらに気づいたみたいで止まってくれた。数分後、何とか話せる距離まで到達し、キャンプコレラの場所を教えてもらい、感謝の意を伝えた。

彼らはたまたまこの周辺を歩いていた見回り(レスキュー)隊で、遭難者がいないかどうか最終チェックをしていたところだった。地獄に仏とはまさにこのことである。


そこからまたしばらく歩き続け、遠方にキャンプ地が見えた時は山頂に立った時より嬉しかった(笑)。朝4時頃に出発し、テントに戻ったのは夜21時。

1日17時間行動の末、やっとの思いでブーツを脱ぎ、倒れるように寝転ぶ。

横になるだけで、空腹も喉の渇きも、寒さも痛みもどこかへ消えていった。

このまま寝れば次の日は何とでもなる。



登頂日翌日、久しぶりの熟睡から目が覚め、生きていることを実感する。

体を休めるため、この日もキャンプ・コレラに滞在。

この日でキャンプ・コレラにちょうど6日目の滞在になる。





・キャンプ・コレラ→プラサデムーラス

翌日ベースキャンプまで下山。

1歩進む度に激痛が走るのは変わりないが、ゆっくり下り続け何とかプラサデムーラス着。

他の登山者の間で自分が遭難したという噂が広まってたみたいで、みんな自分を見て驚いていた。確かに遭難しかけたけども・・・。

久しぶりにまともなご飯を食べながら、他の日本人登山者と雑談。


この後、2日ほどベースキャンプに滞在し、そこから登山口まで戻り、無事登山終了。






Comments


bottom of page