・シングラ・コマ→ティブ
早朝、寒すぎて目が覚める。
自分の横に置いてあるカチンコチンに凍ったペットボトルを見て、昨夜、寝袋の中に入れ忘れたことを悔やむ。
凍らせたくないものは寝袋の中に入れることは寒い場所で野宿する際の鉄則である。
コンタクトレンズやカメラのバッテリーを入れ忘れることはなかったが、飲み物はついつい忘れしまう。
料理人(兼ポーター)が作ってくれた甘いチャイを飲みながら、マギーを食べる。マギーとはインドで有名なインスタントラーメン。
こんな寒い場所で暖かい飯が食えるだけで感謝である。
食後は体も温まってきたので、ストレッチなどをしながら荷物をパッキング
トレッキング開始。
しばらく歩くとツゥモバオと呼ばれる「凍らない滝」が現れる。この滝はネェラクの滝と同様、水源はチベットのカイラスにあるという面白い伝説がある。
全員で滝の前に集まり記念写真を撮る。
橇を引いた地元の村人と邂逅。
川の縁にある道路のない村に住む人々にとって、チャダルだけが人里離れた村と外界を繋ぐ唯一の道となるが、それは厳冬期にのみ顕在化し、時期が過ぎれば消え去ってゆく幻のように儚く神秘的な道でもある。
また村人は夏に収穫したチーズやバターなどを橇に乗せてこの凍結した川を通り、50~60kmほど離れた町(レー)まで行ってそれらを買ってもらい、それで得た現金で生活必需品を買い足して村へ帰って行く。
まさに日常生活が死と隣り合わせ、命がけの冒険となる。
この写真からは牧歌的な雰囲気しか感じられないが、それは気のせいである。多分
ギザギザフォルムの岩山と橇を引くポーター
歩く場所や時間によって氷の状態が刻一刻と変化するチャダルはまるでこの世の移り変わりを早送りで見ているようだ。
時々歩いていると「パキパキ」と嫌な音がして氷にひびが入ることがあることがあるので、そういう時は一旦静止し、摺り足で少しずつ横にスライドしていく。
6時間ほど歩いて、この日の目的地(ティブ)に着くと早速料理人がチャイを入れてくれる。
テントを立てた後、近くの洞窟まで散歩すると地元の村人がこれからレーの方へ向かう準備をしていたので写真を撮ったりして交流を深める。
チベット僧と同じえんじ色の袈裟を着ている子供が興味津々にカメラの方を見つめる。
写真を拡大して見たら「Mammut」のジャケットを着ている。こやつ、只者じゃないな
重い荷物を運んでくれたポーターたち。
洞窟で休憩しているザンスカール人と記念撮影
日本滞在時も洞窟に住んでしまえば理不尽な住民税を払わなくて済むのだろうか?
そういえば日本に40年間ほど洞窟に住んでいた「洞窟おじさん」がいたはずなので、サバイバル術を伝授してもらうのもいいかもしれない。
夜はいつものようにマギーを食べ、食後にアツアツのチャイを飲む。
ガイドが不敵な笑みを浮かべながらゴミを川に捨てる仕草をして言う
「このゴミを捨てれば、ザンスカール川を通ってインダス川で流れが変わり最後にはパキスタンに行きつく。ヘッヘッヘ」
大昔、平和なザンスカール渓谷にバルティスタン(今のパキスタン)人が侵攻してきて、村人が虐殺された伝承を持つ地元の人々からすれば、結構本心で言ってるのかもしれないなと思った。
・ティブ→ネェラク 12.5km
言い訳ではないが、このトレッキングは10年以上前のものだし、当時書いた手帳などは実家に置いてるので細かい記録も確認できない上に、記憶も定かではないので写真を中心に書いていくことにします。自分の拙い文章より写真の方が伝わるだろうし。
ツルツルの滑りやすい場所でポーズをとるガイド
トレッキング中で1番危険を感じたエリア
危険な場所で重要なのは前の人が歩いた場所をそのままなぞるかように歩くこと。
あとはストックで前方をつつき氷の状態を確かめること。
割れやすい部分は何となくわかる。
最悪落ちても流されなければ死ぬことはない。
と言ってもツルツルの場所でズッコケて、手に持っていたカメラごと地面に叩きつけて保護フィルターを木端微塵に割ってしまった自分が言ってもあまり説得力はないか・・・
祈祷旗が括り付けられたジュニパーの木で小休止
タルチョの色が曇り空や殺風景な岩山とコントラストをなしており良い。
この「聖なる木」から歩いてすぐのところにネェラクの滝がある。
チャダルの白眉?ネェラクの滝
この滝にはこんな伝説がある。
昔、ネェラク付近が日照り続きで干上がっていたとき
地元の聖者が水を求めてチベットのカイラスまで巡礼の旅に出た。
巡礼の後、聖者は鍋に水と魚2匹を入れてネェラクに戻ってきたが、
神は聖者に「その鍋をどこにも置いてはいけない」と指示したが、聖者はたまたまこの場所にそれを置いてしまったところ、2匹の魚が鍋から飛び出し大きな滝になったというお話。
伝説上、この滝の水源はチベットのカイラスということになる。
真偽はさておき、メコン、インダス、ガンジス、長江、黄河、ヤルンツァンポなど、アジアの大河はほぼ全てチベット高原のどこかに水源があるので、あながち否定はできない。
というか、むしろこういう論理が飛躍している小噺は大好物である。
チャダルの水源が枯渇しないことを祈りながらポーズ
マギーを作ってくれている料理人兼ポーター。
右手前はチャンディーガル出身の心優しいシク教徒が濡れた靴を乾かしているところ。
以下は偏見かもしれないがインド人の特徴
ヒンドゥー教徒は人間の振り幅が大きい。詐欺師から聖者まで何でもあり。
例えて言えば「日本人の振り幅を30とすればインド人は100」
その一方でシク教徒やジャイナ教徒、仏教徒はヒンドゥー教徒より品がいいイメージ
シク教徒は(外見的に)知的に見える人が多いし、話し方が穏やか。裕福で体が大きい人が多い。
ジャイナ教徒は戒律が厳しく、不殺生を徹底している。インドのユダヤ人と呼ばれるぐらい金持ちの割合が高い。ディガンバラ派という宗派の人々は服を着ず裸で生活を送る。所有欲や物欲、性欲全てを放棄するのでサドゥーの原型とも言える。ただし、サドゥーの大半はヒンドゥー教徒。結論、わけわからん
チャダル上でマギーを食べる。トレッキング中は1日3食ほぼマギーだったはず。
食後はテントを張り、荷物を置いてネェラク村へ散歩。
キャンプ地はチャダルから2mほどの高台で、そこから40分ほど山を登ると村に着く。
チャダルをバックに記念撮影
吹雪の中を登っていく
ついに最終目的地ネェラク村に到着。欲を言えばもう少し晴れてほしかったが
村はネェラクヨクマとネェラクゴンマの2つに分かれており、それぞれヨクマが下部、ゴンマが上部を意味している。
ネェラクゴンマの中心には巨大なジュニパーの木があり、そこが村人の信仰の中心地となっている。
ここには学校がないので、子供たちは必然的に10kmほど離れた川の対岸にあるリンシェ村の寄宿学校に行くことになる。
小屋にヤクが5頭ほど、羊が10頭ほど飼育されていた。多分もっといる。
「子供は風の子」と言うが、それを体現しているネェラク村の子供たち
わざわざ橇遊びを中断させてまで集まってくれてジュレー(ありがとう)
1人だけ橇で滑ってる子供が写っているが・・・
ネェラク村のとある家にお世話になる。温かいチャイを淹れてくれる主人
ツアー客5~6人、ポーター数名で突然押しかけてしまい、申し訳ない気持ち。
トレッキングで疲れている人たちは下のキャンプ地で休んでおり、ここまで来たのは少数派ではあったが、お宅訪問がツアーの一環として組み込まれてるのかは不明。
ネェラクの村人とインド人の間でも言葉の壁があるみたいで会話はほとんどなかったが、主人の対応を見ていると手慣れた感じではあった。
容易に訪れることができない場所なので子供たちの為に町で文房具類を買って持ってくれば良かったと少し後悔した。
次に訪れる機会があれば、この時撮影した写真やいくつかのお土産を持参していきたいと思う。
我が物顔で寛ぐインド人とポーターたち
当然のように暖房器具などないので室内で吐く息は真っ白である。
ただ近年は太陽光発電所を建設しているという情報も見たので、今は住環境も改善されているのかもしれない。
チベット人が風呂に入るのは生涯で数回などとは言われているが、ここもチベット圏であり、風呂は当然ない(と思われる。)
トイレも行っていないのでわからないが、おそらく外で済ませてるはず。
何より、自分たちもここまで来る間は全て岩陰などで用を足していた。トイレットペーパーなど持ってきてないから、尻は石か小枝で拭く。
野糞関係で言うとエピソードが記憶の底から瞬時に湧いてくる自分に少し悲しみを覚えるがこんなこともあった。
インドのジュナーガド郊外をバスで移動している時に突然便意を催し、我慢できるレベルではなかったので運転手にバスを止めるようにお願いした。ちょうど紙を持ち合わせていなかったので運転手が飲んでいたペットボトルを借り、草むらで用を足した後、その水で尻を洗った経験がある。便をしている最中にバスの乗客と目が合った時は少し気まずかった。
話が脱線したついでに、さらに脱線してしまうが、今まで読んだお気に入りの本として伊沢正名氏の「くう・ねる・のぐそ」がある。
この本には衝撃を受けたとももに、伊沢氏に対し多大なる尊敬の念を抱いた。
短い時間でしたが、お世話になりました。
ネェラク村の子供たち
最後に
辺境好きで好奇心と功名心に満ちた自分のような不届き者にとってインドのザンスカール地方は非常に魅力を感じる場所だった。
近年はナショナルジオグラフィックやディスカバリーチャンネルなどで取り上げられたりしてツアー客も増加傾向にあり、それがチャダルを取り巻く環境に与える影響を考えると決してプラスの側面ばかりではない。そのことを念頭に置きながら、ここを訪れる人たちはローカルの人々の意向に沿った最低限の行動や対応が求められる。
チャダルのことをもっと知りたい方は庄司 康治氏の「氷の回廊: ヒマラヤの星降る村の物語」という素晴らしい本もあるので、是非読んでみてください。
庄司氏はチャダルを1人で踏破している上にローカルの言葉にも精通しているようなので、すごいの一言。
Comments